青鳥のコラム―占いばかりではなく趣味のこと、感じたことなど

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4☆2017年2月~

華麗なMaserati(マセラティ)という生き様。

あの頃の「夢と情熱」を甦らせる、スバル360 ヤングSS

春になると訪れる、旧車の饗宴。

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3☆2016年5月~6月

思いやり!

Car SOS

今も昔も、カタログデータの偽善性。

車をみれば時代が見える ー フェラーリ ミュージック

車をみれば時代が見える ー アバルトという男。

2☆2016年4月

愛しの“猫バス”物語り!  その一

愛しの“猫バス”命名の由来!  そのニ

愛しの“猫バス”との別れ!  最終回

日曜日のオールドカー・パレード。

魂を揺さぶる『フェラーリ』の、気高きソプラノ。

1☆2015年12月~2016年3月

私論、ベストハンドリングについて。

心情的自動車論、「RRの伝説」

カーガイ(車マニア)との、出会い



華麗なMaserati(マセラティ)という生き様。

2017-10-17 (火) [自動車]

 かつてイタリアにOSCA(オスカ)という、レーシングコンストラクターがいた。
1947年(昭和22年)創業なので、若い方にはとんと縁の無い話だろう。

イタリアの自動車といえば、カーマニアにとって「栄光の50~60年代」が印象的!
ちょうどイタリアの「経済の奇跡」期と重なり、それこそキラ星のごとく名車を輩出した。
世界をリードするイタリアンデザインは、今もなおカロッツェリアと共に健在である。


その中で名声をはくしながらも、数奇な運命をたどった
“Maserati(マセラティ)”というメーカーがある。

海神ネプチューンの三叉の鉾(トライデント)をモチーフとしたロゴを付け、戦前から戦後にかけてレース場を快走し、今や高級車メーカーとして名を馳せている。

その名の由来となったマセラティ兄弟が、戦後会社を実業家オルシ氏に売却し、
故郷ボローニャで興したのが“OSCA”である。
ズバリ“本物のマセラティ”なのだ!


ただし私とOSCA(オスカ)の出会いは、
あまり恵まれたモノではなかった。
当時、RR車の教祖・ポルシェ博士に心酔していた私は、FR車に全く興味が無い。

さらに古い車の歴史など、昭和の日本ではなかなか入手しずらかった。

今でこそPCで検索出来るが、当時は本屋を巡るしかなく、
銀座にあった某洋書屋さんとか神保町の本屋街で、発掘するかのように漁るしかなかったのである。

左様にさらさら興味の無かった“OSCA”であるが、
最近になって点と点が線になり、さらに線から面となり始めると、がぜん興味が湧いて来る。
なにせ昭和20~30年代に、FR車ながらDOHCエンジンと、流麗華麗としか言い様のないレーシングスーツ(車のボディ)をまとい、幾多の勝利を重ねたのだから!

国民車としてスバル360が胎動し始めたのを知る身にとって、
彼の地のレーシングシーンは異空間の別世界でしかなかった。

図らずも自らの名を剥ぎ取られたマセラティ兄弟が、故郷ボローニャで再起を誓った“OSCA”!
その屈折したストーリーが何とも言えぬ感情となり、知らず知らず我が身と重ね合わせられ、思わず肩入れしたくなるではないか!

「好きです、そういう演歌節」!!


結局1967年に消えていくのだが、冷徹なビジネスの世界で惨敗したとしても、戦後復興期の1957年ル・マンで入賞し、幾多のクラス優勝を成し遂げた輝きは今も衰えてはいない。

一瞬の光芒を放つ流星のごとく、
自動車の歴史に名を残した“OSCA”にいまだ熱視線を送っている。

追伸:ストーリーの締めくくりよろしく、ミニカーを発注するも「申し訳ございません、在庫切れでした‥。」と連絡が来る。
「ちきしょー!」と小梅太夫のごとく絶叫するも、マセラティ兄弟の苦渋は未だに続いているのかな~。


あの頃の「夢と情熱」を甦らせる、スバル360 ヤングSS

2017-05-014 (日) [自動車]

 昭和40年代、ニキビ面の少年だった頃、街中ではスバル360が多数見走り回っていた。ポルシェの影響でRR車に関心の高かった私は、スバルヤングSSの元気良い走りが好きで、そのフォルムにVWやポルシェ356を重ね合わせていた。

霧島神宮大鳥居そばの、観光案内所で週末は出張鑑定をしているが、今年に入り二度ほどヤングSSを見かけており、あの頃の「夢と情熱」がよみがえる。

当時の若者はベビーギャング車が好みだったので、軽のスポーティ車は人気が高かった。

今日お見かけしたスバル360ヤングSSのオーナー様も、ファッションが車とマッチし、昭和40年代へとタイムスリップさせる。当時、自転車のわきを勢いよく走り去るヤングSSに、「いつかは乗りたいなぁ!」と願ったものである。

こうして再び出会って見ると、なかなかどうして、今なお輝きを放っているでは無いか︎!

日本の青春時代の匂いを発散させるすバルは、「やっぱり欲しいなぁ~!」と思わせてくれる。

そしてスバル360ヤングSSのミニカーを買おうと思った時、今でも「夢と憧れ」の存在なのを知った。


春になると訪れる、旧車の饗宴。

2017-02-07 (火) [自動車]

 月末の土・日曜日の霧島神宮そば「霧島市観光案内所、月末よかもん市」に出店してますと、南向き道路が休日の走行に適しているのか珍しい車が来ます。

1月度は古いFIAT500のアバルト仕様695が、宮崎方面より来訪されました。
もともとアバルトはチュンナップ・カーなので、どの程度のモデファイなのか判りませんが、オーナー様の気合いの入れようが判ります。

乗り味をお聞きしますと「疲れます!」と、予想通りのうれしいお返事!。
当時は走行性能よりエンジンパワーが優先された時代で、ハンドリングに情熱を燃やしたのはロータスやアルピーヌなど、自社製エンジンを持たないメーカーが多かったと記憶しています。

アバルトはFIATのエンジンを使用していますが、独自のチュンナップでオリジナルとも言えるエンジンを造りました。その天才的らつ腕を振ったのは、かのアルファロメオで大活躍した「コロンボ」技師です。

好いですね‥、FIAT Abarth 695.。今の時代では味わえない、ホッコリ感が魅力炸裂です。


そして後日現れたのは“てんとう虫”と称された「スバル360」でした。
私の学生時分はそこいら中で走り回るも、一度も乗車出来ず「いつかは乗りたい‥!と願った車。オーナー様はよい具合に年齢を重ねた紳士で、さっそくお声を掛けましたが仕事が入り中断の憂目に‥涙。
顔を上げた時には、オーナー様はスバル360と共に何処かに旅に出た後でした。

戦後GHQより航空機製造を禁止された中島飛行機が、その技術力を結集し国民車として作り上げた「スバル360」。
日本の自動車史においてエポックメーキングな存在ですが、同時期の海外勢はDOHC12気筒エンジンでル・マンを24時間周回する“フェラーリ”など、異なるジャンルながらも圧倒的な技術力の差がありました。

されど「スバル360」の偉業は少しも色褪せる事なく、私達の記憶に残っています。
“歌は世につれ、世は歌につれ”ではありませんが、戦後国民の苦労と夢の記憶をとどめて走る旧車達は、オーナー様の愛情をたっぷり受け、今だその輝きを失ってはいません。

出来ればこの有限の“ひととき”が永久に続きますようにと願うも、某国トランプ大統領の登場でキナ臭い戦争の匂いが漂い、如何なる事になりますやら。
臭いセリフではありますが「平和の良さ」を、少し味わった一時でした。


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